僕が思っていること

人間は何のために生きるのか

人間は何のために生きるのか。
それは人類永遠の課題であると思います。

私はこの答えを
「幸福を追求するため」
であると確信しています。

幸福に生きるというのは、
簡単なようでとても難しいものです。

自分が幸福になっても誰かを不幸にするなら、
幸福とは言えません。

なぜなら人間には罪悪感があるからです。

罪悪感を感じられない人は、
幸福感も感じられないから
永遠に幸福にはなれません。

人間は自分が幸福になり、
他人も幸福になった時、
さらに大きな幸福感を得ることができます。

すると世の中は幸福な人が増え、
幸福はどんどん増していきます。

それこそが人間の生きる意味であると
私は思うのです。

幸福とは、
自分の幸せと社会の福利
であると言えます。

自分の幸せだけを考えて幸せになれるのなら
とても簡単なことです。

ですが、実際は社会が平和でなければ幸せにはなれないでしょうし、
人間が複数になると考え方が人それぞれですから必ずぶつかることになります。

その時に、大切なことが
喜怒哀楽愛悪欲などを抑えるということです。

社会の福利のためには、
自分以外のことを考える必要があります。
自分以外のことを考える時には、
自分の何らかのことを抑えなければならないことが多くあります。

そうすることで、自分の幸せと社会の福利を維持するのだと思います。
それがより幸福に近い状態だと言えます。

幸福は人間にとって非常に難しいものです。

だから私は、人間が生きる意味は
幸福を「追求」すること
だと考えるのです。

子ども達には、どうすれば幸福に生きることができるのかを
教えてあげる必要があります。
そのようなより良い生き方や知恵を身に付けさせてあげることが
教育だと思います。

受験勉強だけが教育ではありません。
子ども達には、大人になったら幸せに生きてもらいたいのです。

しかし、今何人の大人が胸を張って「自分は幸福だ」と言うことができるでしょうか?
子ども達に幸福になる方法を教えることができる大人がどれだけいるでしょうか。

経済成長時代のように受験を頑張っていい大学に入り、
いい会社に就職して、いい給料をもらうことが幸せ
という時代ではなくなってきました。

教育も人間が幸福に生きる道を教える方向に変わっていくと思いますし、
産業や技術も人間がいかに幸福に近づくかというところに結びついてくるだろうと思います。

例えば、車社会が発展してきた今までは、いくら交通事故死が多くても
それを解決すること以上に技術や産業の発展の方向に社会全体が向かってきました。

しかし、それは間違いなく不幸な出来事ですから、
これからはそんな不幸が起こらない方向に技術が進化していきますし、
環境に配慮した技術が発展していきます。

この流れはあらゆる業界でもっと進むことになるのだろうと思います。

私はいよいよ
人間が幸福を追求する時代
になっていくのだと感じています。

これからは、幸福というものを
そんなに難しいものとして扱うのではなく、
一般化してみんなで共有しながら一緒に作り上げていく、

そういう時代になっていくのではないかと思っています。

幸福に生きることは言葉以上に難しいものです。

人類が努力して幸福を追求していくことは
正々堂々と最も大切なことであると私は言いたい。

三大幸福論と言われる中の一人、アランはこう言っています。

「とりわけ、明らかだと思われるのは、
幸福になろうと欲しないならば、
幸福になることは不可能だということである。」

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