政治に関して、一つの答えに辿り着きつつある気がしています。
それは「政経分離」が必要だということです。宗教との関係の政教分離ではなく、経済との政経分離が必要だと思います。
高度経済成長が1970年代後半に終わり、それまでは経済成長が社会課題や生活の全てをお金で解決することができたので、経済が社会を作る中心で、政治も経済を最も重視しなければならないという意識が日本人の中に潜在し続けてきました。
だからとにかく政治は経済が第一番目の政策として議論されるし、広告業者であるマスメディアは当然経済を誘導するかのように論じるし、政府とメディアのスポンサーである大企業に優遇することが重要という論理がまかり通ってきました。
しかし、政経一致の時代は終わっているのです。高度経済成長というあの奇跡を取り戻すために躍起になり、政経一致を追い求めても、政治は悪くなる一方でしかありません。
補助金や委託という形で大企業へお金が使われ、その大企業から自民党へ献金で多額が還流される。いわば国民から集めたお金が、経済成長の名目の下、政治という権力へと辿り着いているように思います。
政党には企業や団体などたくさんの支援組織があります。お金を集めるのみでなく、選挙を応援してもらい、その組織の求める政策実現のために政治を行います。
企業が事業成長のために利益を追い求めることは、当たり前のことなので、これが悪いとはいいません。政治を行う側の問題です。
補助金や委託を出す企業から「献金や選挙支援を受けない」ということを自ら行う倫理観が必要ではないでしょうか。
そういった倫理観を国民が求めなければ、これからの政治と経済はもっと悪くなっていきます。
そして、大企業と書きましたが、資本の正体を知るには株式の所有者まで見る必要があります。日本の優良企業だと思っていたら、資本の持ち主は海外投資機関だったなんてことは当然にある話です。
こう書いていると腹立たしく思う方もいると思いますが、実は地方政治においては別次元と考える人が多いのか、同じことは起こり得るのが政治です。
応援している政治家に優遇を求めていませんでしょうか?
企業利益や個人利益に繋がる政治を実現してくれた政治家に、献金を行ったり、政治資金パーティーに参加して寄付したり、後援会の役員を受けたりしていませんでしょうか?
企業の発展はもちろん街のために重要なことですが、政治家はしがらみを排除しておく決意を持たないと、気づけば一部の人にだけ利益のある政治を行ってしまった、ということは必ずあります。それが街にとって大切なことだという視点しか持てなくなるのかもしれません。
そういう所に無縁の国民が、結局そういう政治と企業、または力のある団体で政治が行われていると感じ、自分1人が投票に行っても意味がないと思ってしまうのではないでしょうか。
資本との癒着というものはこれからも必ず出てきます。行き着く先は水道事業の民間委託とか、水源を買収されたとか、正しいのか悪なのかわからないようなところからじわじわと広がってきます。
僕はそんな政治を嫌悪して政治家になりました。
しがらみのない政治を目指してやってきて、そういう時代でもなくなったかなと思ってもいましたが、そんなことはなく、気を抜けば癒着というものは進行してしまうものなのだと感じています。
これは結局「選挙」というものから生まれます。選挙に当選したいという意識、勝たなければ何もできないという志が、選挙活動の中で支援を得ることを正当化してしまうのです。
僕が選挙でこだわってきたのは、馬鹿らしいと言われるようなことですが、投票のお願いをしない、戸別訪問を行わない、政策で選んでもらう、後援会もない(これは必要性がなかっただけですが)、名前を売るために景観の邪魔になるような看板を出さない、寄付をもらわない(6度の選挙で計10万円程いただいた経験はあります。)、ということです。
支持されなければ政策が必要とされていないということなので、それを崩してまで当選する意味はないと思っています。だからお願いをして票を集めることは、正しい政治を壊してしまうのだと考えています。
そんなものは理想だ、現実を知れ、と言われることもありますが、いや、やっぱりこれからの政治に非常に重要なことではないかと感じています。
政治が宗教と結びつくのを避ける政教分離以上に、いま政経分離が必要ではないかと思います。
正しい政治を崩すしがらみというものから、自らを律する哲学が必要だと思います。
経済のことをまったく政治が考えないのではなく、公平公正を確実に維持して、国民一人一人そして地域の企業の自由と責任ある発展を実現する政治が行われることを望みます。
政党及び政策の多様性はこれから進むと思います。
利権やしがらみの中での多様性から、利権やしがらみを拝した政党が今後多様に出現してくる時代になるのではないかと感じています。
利権やしがらみに支えられる側のオールド政党が、それを拝した複数のニュー政党の台頭に取って代わられる時は近いと思います。